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この場を借りて簡単な自己紹介をさせていただきます。

理学療法士養成校へ

今から約20年前になりますが、福岡にある理学療法士養成校(3年制の専門学校)へ25歳で入学し、28歳となった3年後に卒業しました。1年生、2年生の時には主に解剖学・生理学・運動学などの専門科目を中心に(文学や体育などあまり関係のない科目もありました)勉強しました。3年生になってからの約半年間は三か所の病院(一か所につき8週間)を臨床実習として回りました。半年間の実習生活を過ごした後、三か月間は学校の卒業試験や国家試験へ向けて猛勉強をしました。その後、卒業しました。

就職活動

どうしても就職したい職場があり、そこを一本に絞り、面接を受けました。結果は採用され、無事就職することになりました。

就職したかった理由

その職場の志望動機は、学生時代に評価実習でお世話になり、そこで出会ったスーパーバイザーをしてもらった先生がとにかくすごい先生で、その先生の元で学びたい、ただそれだけの理由でした。その職場には3年近くお世話になりました。しかし、残念なことに私が就職してわずか一年後に、その先生は退職してしまいました。

初めての職場

職場には理学療法士、作業療法士合わせて10人位いました。外来患者さんは一日に200~300人位の来院数がありました。整形外科の患者さんだけではなく、小児関係の患者さんも数多く来院されていました。そこで毎日30人位の患者さんのリハビリを行っていました。

就職後

ほぼ毎日夜の10時から11時位まで残って勉強しました。勉強内容は、その時代は主に関節モビライゼーションやストレッチ、後はマッケンジー法などを学んでいました。今の治療法は何が流行っているのかは分かりませんが、約20年前にはそれが流行っていました。みっちり働いた後に3時間ほど勉強会をしていましたが、少しも辛くはありませんでした。付き合てくれた先生も嫌な顔一つせずに熱心に指導をしてくれました。とにかくその先生と一緒に過ごす時間がとても貴重で、楽しかった思い出があります。しかし、先程も言ったようにその先生が退職することになりました。それを知った時には不安感と喪失感で頭の中が真っ白になり、これからどうすれば良いのか途方に暮れました。なぜなら本当に私にとってその先生はヒーローだったからです。そのヒーローがいなくなった後も、その意思を引き継ぐために一生懸命勉強を続け、仕事に打ち込みました。しかし、そのモチベーションは長続きしませんでした。それだけ、そのヒーローの存在は私にとって大きなものだったのです。

退職を決意

それから2年後に私は退職を決意しました。ちなみにそのヒーローは、ある大学の准教授となっており、たまにテレビで拝見しています。約20年経った今も、やはり私のヒーローであり、恩師であることは間違いありません。

介護老人保健施設へ

次の職場は環境をがらりと変えるため、介護老人保健施設に就職しました。そこには最初の職場とは全く環境が違い、のんびりとした時間が流れている所でした。スタッフは私の他に作業療法士が二人いました。二人ともとても良い人で居心地はかなり良かったです。その職場には約4年ほどいました。

一度目の転機

その職場で、私はのんびりした環境に甘えてしまい、勉強を疎かにしてしまいました。しかし、決して無駄な時間を過ごしたという訳ではありません。患者さんのために一生懸命にリハビリを行っていたことは事実です。しかし、普段から勉強をしていなかったせいで、リハビリはマンネリ化してしまいました。それは患者さんにとっても、私にとっても良いとは言えない状況でした。職場環境に甘えてしまい、日々勉強しなければいけない仕事であるにも関わらず、さぼってしまいました。途中から薄々とそのことには自分自身で気付いていましたが、私の気持ちの弱さから気付かない振りをして4年間過ごしました。それから、その職場もあることがきっかけで退職することになりました。

再び転職

転職を決めた理由は主に3つありました。

  1. 主任として責任ある立場に立つこと
  2. 急性期(手術後)のリハビリテーションの経験を積むこと
  3. 入院患者さん(緩和ケア)のリハビリテーションを行うこと

以上の3つでした。

具体的に

  1. 今まで経験したことのない後輩の指導(技術的なこと、患者さんに対する接し方)、リハビリテーション室の患者さんの来院数や売り上げの管理、人間関係の調整等
  2. 今までは慢性的な痛みのある人、疾患、術後ある程度時間が経った患者さんに対するリハビリテーションをメインに行っていたので、手術直後の患者さん(急性期)のリハビリテーションをあまり行ったことが無かったため
  3. 新たに就職した病院は、がん患者さんの末期の方が結構いらっしゃったので、その方々へリハビリテーションを通じて、入院生活をいかに穏やかに過ごしていただけるか等

現実は

主任としての立場は、当初は大変でしたが、会議などで発言したり、場数をこなしていくうちに慣れてきました。後輩への指導は、自分の考えを無理強いするのではなく、相手の行っていることをしっかり見て、尊重することで、意見を求められたときにだけ、丁寧に話し合うことでなんとかうまくできるようになりました。

術後の患者さんのリハビリテーションは、最初はタイムテーブルを気にしすぎていて、時折対応が少し遅れることもありましたが、これも経験を積むことにより臨機応変にリハビリを行うことができるようになりました。

 一番大変だったのが、3つ目の末期の患者さんに対するリハビリテーションを行うことでした。治療技術云々も大切ですが、ここで一番大切なのはやはり相手との会話の中で言葉一つ一つの重みを、非常に神経をすり減らしながら考えなければならないことでした。自分が言った軽い一言が、相手にとっては何倍もの重い言葉になることを実感しました。しかし、これは相手が末期の患者さんだけではなく、リハビリテーションを行う上で、誰に対しても必要なことだと今では実感しています。

順調?

比較的順調に新しい職場にも慣れてきた頃でした。徐々に経営者側との軋轢が生じて、心身ともにストレスを感じていることを自覚してきました。それから程なくして、体の不調に悩むことが多くなりました。まず、全身に倦怠感が出現しました。最初は疲れが溜まって、それを発散できていないだけだと考えていました。しかし、いくら体を休めても、その倦怠感が消えることはありませんでした。それから、特に理由もなくイライラすることが多くなりました。職場のスタッフにあたったりはしませんでしたが、そのイライラを隠して平静を装って過ごしていました。そういう日々が続いていく内に、ある日何か自分の中で大事な何かが溶けていくような感じがしました。うまく表現できませんが、自分の中で何かが修復不可能なほどにずれてしまった感じでした。徐々に仕事に支障を来すようになり、退職することになりました。わずか1年あまりのことでした。

療養生活へ

それから半年間療養生活に入りました。しかし、倦怠感は変わらず、イライラやモヤモヤは心の中に硬い塊として残っていました。でも経済的な理由で仕事をしなければいけませんでした。

現在の職場へ

次に就職したのは小さなクリニックでした。なぜそこに就職したのかというと、理由は理学療法士が私一人だけだったからでした。そのときはできるだけ人から干渉されず、また誰にも干渉したくなかったので、そこを選びました。

自分自身のリハビリ

そこは閉鎖的な職場環境であり、自身も閉鎖的な考え方をしていました。しかし、仕事柄全く人と関わりを持たないということは不可能でした。その当時、リハビリをしていた患者さんには申し訳ありませんでしたが、患者さんのリハビリをしていると言うよりは、むしろ私自身のリハビリをしているような感じでした。それから、9年間経ちました。今では、患者さんに対して、なんとかうまく笑って、話せるようになりました。しかし、職場のスタッフに対しては中々心を開くことができず、孤立している状況です。

慣れると当たり前になる

人間、慣れと言うものは怖いものです。体の倦怠感やイライラはまだあるのですが、今では、それが当たり前という状態となっています。体調不良になってから10年ほど経ちますが、そういう状態が、元々の体の一部であったかのような錯覚を起こしています。

葛藤

もちろん可能な限り一生懸命に仕事をしました。しかし、ほとんど勉強をしておらず、過去に学んだことを頼りに患者さんに対して治療をしてきました。いつも「これで本当に患者さんのためになっているのか?」と自問自答をしながら過ごしていましたが、やはり勉強をする気は起こりませんでした。そんな日々を過ごしていく中で、段々と理学療法士という仕事が嫌いになってきました。「もうやめよう、もうやめよう」と毎日考えていました。しかし、こんな私に患者さんは「ありがとう」と笑顔で言ってくれます。それに対して本当に申し訳ない気持ちで一杯した。体調不良は続いていましたが、このままでは本当に自分はダメになってしまうと感じ、少しずつ自分の気持ちを整理していきました。なぜこの仕事をしようと思ったのか、最初に働いていた時の気持ちを思い出すようにしました。それでも中々気持ちは前向きになれませんでした。

未来へ

2年くらい前から、そういうダメな自分も自分なんだと考えるようになってきました。自分に対する過大評価を一切捨てて、自分はまだまだちっぽけで、弱くて、未熟な人間だと思えるようになりました。それから、ほんの少しですが、前に進めるようになった気がします。それが約2年前位のことです。本当に歩みは遅いですが、勉強を再開し、一歩一歩前に進んでいます。自分自身を何とか受容しながら、仕事を頑張っています。

ブログを始めるきっかけ

私がブログを始めたきっかけは、今まで培ってきた自分の知識を色々な人にお伝えすること、また色々な人から私の知らないことをたくさん学ぶためです。また、自身の生き方を少しでも前向きに、いい方向へ進めていきたいとも考えています。今まで私自身の心の中を家族以外の誰にも話したことはありませんでしたが、このブログをいう場を借りて、普段考えていることや行っていることを少しずつ書きながら、自分を変えていきたいです

ブログを通して

臨床経験20年の理学療法士として働いてきたことを活かして、皆さんの人生をより豊かにできるブログにしていきたいです。可能な限り皆さんにとって参考になるような役立つ情報を伝えていくことができれば嬉しいです。

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