孤独な理学療法士の日記

理学療法士をしているマトルです。仕事・健康・家族・趣味など普段考えていることや行っていることをお伝えします。

大阪北部地震 日本の一つの地域に起こった地震が日本全国の人達の不安と心配へと広がっていきます

 

昨日、大阪北部で大きな地震がありました。私は過去に三回の大地震を経験しました。

 

 

Earthquake!

目次

1995年1月17日 阪神淡路大震災

私は大阪に住んでいました。当時私は大学生で、深夜のアルバイトから帰ってきて眠りについて少し経った時でした。午前6時前だったと思います。下から突き上げられる揺れと音を感じると同時に枕元にある本や漫画が顔の上に落ちてきました。

阪神淡路大震災でした。

そして一階で母が何かを大声で言っているのに気づきました。私は疲れと眠気でぼんやりしていました。どれくらい時間が立ったか分かりませんが、散らかった部屋を見ながらボーっとしていました。ふと気づいて私はテレビを付けました。そこには阪神高速が横倒れになっている姿が写し出されていました。私は急に動悸が激しくなり、頭が真っ白になりました。それと同時に兵庫県から通っている大学の同級生の顔が思い浮かびました。当時携帯電話はほとんど普及していない時代だったので連絡を取りようがありませんでした。私は不安と心配を抱えたまま長い時間を過ごしました。大学が再開され、その同級生の姿を見ると嬉しさと同時に不安と心配から解放されたことにホッとしました。

2005年3月20日 福岡西方沖地震

 私は結婚して福岡市内のアパートに住んでいました。妻と二人で朝食を終えてソファーでテレビを見ていました。大きな音ともに大きな揺れがきました。午前10時30分くらいだったと思います。

福岡西方沖地震でした。

私はまず妻を、目の前にあったテーブルの下に誘導して、私と妻の携帯電話二つと自宅の子機電話を持って私もテーブルの下に入りました。阪神淡路大震災で時間が経てば経つほど電話が繋がりにくくなることを知っていたので、揺れを感じながら携帯電話を使って同じ福岡市内に住んでいる私と妻の両親の家に電話をかけました。妻の実家にはすぐに繋がり、家の中はぐちゃぐちゃでしたが怪我なく無事だと確認できました。私の実家は呼び出し音は鳴りますが、出ませんでした。外出していると思い、母の携帯電話に電話をすると出てくれて無事を確認できました。父の携帯電話は中々繋がりませんでした。母によると父は海へ船釣りに行っているとのことでした。私は強い不安と心配を感じました。それから父の携帯にずっとかけていましたが中々繋がりません。長い時間が経って母から電話があり父の無事を確認することができました。地震の時、海は意外に揺れは少なく、父は携帯電話の着信履歴の多さにびっくりして電話をしてきたとのことでした。

2016年4月14日 熊本地震

福岡西方沖地震の時に住んでいたアパートから同じ福岡市内のマンションに引っ越しをしていました。その日の私は早めにベッドに入っていました。午後10時前後だったと思います。眠りにつこうとしたとき枕元に置いているスマホから、けたたましいアラート音が鳴り響きました。画面を見てみると熊本で大きな地震が起きたとの知らせでした。震源地は熊本県益城町。妻の祖母や親戚が住んでいる町でした。私はまだ起きている妻の所へ行きました。妻も驚いてスマホを見つめていました。そこから何度電話をかけても繋がりませんでした。しかし、ラインなどの普及で比較的早くに無事の確認をすることができました。でも余震の続くなかで家の中にいるのは危ないとのことで車の中で夜を過ごすとのことでした。妻の祖母は90歳を越えていました。二人でとても心配しました。それから妻の祖母は福岡にある妻の実家に移ることになりました。今では元の家に住んでいます。

終わりに

 過去の三回の大地震で私は直接的にも間接的にも色々な経験をしました。地震は直接的な当事者を恐怖に落とし入れます。間接的にも地震あった場所に家族や親戚、友人、知人がいればどんなに遠く離れていても人の心の中にはその人に対する不安と心配が広がっていきます。今回の大阪北部に起きた地震の恐怖が早く過ぎ去ること、また大阪北部に家族や親戚、友人、知人がいる日本全国の人達の不安と心配が早く取り除かれることを心からお祈り申し上げます。